Stay hungry, Stay foolish

2009.03.24(2009.04.13改稿)

 iTunesU (高等教育向けの iTunes ライブラリ)に参加している米スタンフォード大学の卒業記念スピーチを視聴したことがある。スピーカーはあのスティーブ・ジョブス。Apple とアニメーションスタジオ「Pixer」のCEO。2005年6月12日のことである。何気なく聞いていて、最後には鳥肌が立つような興奮を覚えた。

 スピーチは3つの話からなる。原文はこのリンクで読むことができる。字幕つきの動画はこちら

 私は、この卒業式にあたり、世界で最高峰の(スタンフォード)大学でスピーチをすることをとても誇りに思っている。私が今日話したいのは3つのお話。ただ、それだけ。

 Connecting dots.(点をつなぐ)
  私は私生児だったが、母のたっての希望で、大学に行かせることを条件に養子にだされた。ところが、養子縁組の直前に、養母は高卒、養父は中卒だったことが分かり、母はしばらくちゅうちょしていた。でも「大学に入れる」という養父母の申し出で私の人生はスタートした。
  ところが、私が入学したリード大学はとても学費のかかる学校で、私を大学で学ばせるために養父母はそれまでの蓄えのすべてをはきだしていた。私の学生生活にそれだけの価値を見いだせず、中退することにした。でも、これはたぶん私の人生でベストの選択だった。
  中退後もしばらく大学に居残り、ヤミ学生で、タイポグラフィ(飾り文字)講義を受けていた。これにはすっかり魅了されたが、生きていく上で何の役にも立たなかった。ところが10年経って最初のマッキントッシュを設計する段になって、タイポグラフィの講義で学んだ全てを盛り込み、世界初の美しいフォント機能を備えたマックが生まれた。もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整のできるフォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、今のパソコンにはそうした機能は備えられなかったかもしれない。
  もし私がドロップアウト(中退)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかったかもね。
 大学にいたころの私は、まだそんな将来のことまで点と点をつなげてみることはできなかった。10年経って振り返ってみるとはっきり見えた。君たちにできるのは過去を振り返って点と点がつながっていたこと。ばらばらの点であっても将来それらが何かの形でつながっていく。自分の根性、運命、人生、何でもいい、とにかく信じること。将来歩む道の途中で必ずどこかでひとつにつながっていくからだ。そう信じることで君たちは確信を持って自分の心のおもむくまま生きていくことができる。その結果、ヒトと違う道を歩むことになっても、それは同じ。信じることですべてのことは間違いなく変わるのだ。


 Love and loss.(愛と敗北)
 ウォズ(Appleの共同設立者)とアップルを立ち上げ、必死に働き、ガレージカンパニーから4,000人の従業員を擁する20億ドル企業に育てた。
 ( 飛ぶ鳥を落とす勢いのさなか)自分が創業した会社を30歳の時、解雇された。自分で作った会社なのに大きくなった会社をサポートしてもらうために、後から迎えた経営のプロと、だんだん意見が合わなくなり、とうとう取締役会で解任されたのだ。しばらくは落ち込んでシリコンバレーを離れることさえ考えた。
  でも、私はまだ自分のやった仕事が好きだった。アップルを放逐されても、その気持ちはいささかも変わらなかった。振られてもまだ好きだった。だからもう一度、一から出直してみることに決めた。NeXT Computer とピクサーを立ち上げ、ピクサーは大成功を収めた。(商業的には失敗だった NeXT Computerは将来のOS戦略が迷走していたApple と合併。彼は Apple の CEO に返り咲いた。)
 私がくじけずにやってこれたのはただひとつ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからだ。みなさんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちも仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただひとつ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただひとつ、好きなことを仕事にすること。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目だ。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。


 Death (「死」について)
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読んだ。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉だった。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきた。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、何かを変える必要があるなと悟るわけだ。
  自分が死と隣り合わせにあることを忘れないこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりになった。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て、まわりからの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…。 こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていくからだ。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策だ。
  君たちはもう素っ裸なのだ。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
 今から1年前、私はガンと診断された。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にくっきりと腫瘍が写っていた。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
  医師は私に言った。「これは治療不能なガンである。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう」と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言した。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味だった。
  つまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、今のうちに伝えておけ、というだ。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということだ。それはつまり、さよならを告げる、というだった。
 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごした。そしてその日の夕方遅く、生検を受け、喉から内視鏡を突っ込んで検査を受けた。内視鏡は胃を通って腸内に入り、すい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を採取した。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったが、立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に叫び出したそうだ。すい臓ガンとしては極めて稀な腫瘍で、手術で直せると分かったからだ。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気だ。(拍手)
  これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験だ。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいけどね。
  以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎなかった。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないということ。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。今だかつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の最高の発明品だから。古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなのだ。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実だ。
  君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだかだ。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことだ。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。それ以外のことは全て二の次でいい。

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 最後に Whole Earth Catalog (全地球カタログ)を紹介して学生達のスピーチを締めくくる。
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 私が若い頃、Whole Earth Catalog という、すばらしい出版物が世に出た。私らの世代のバイブルと言ってもいい。60年代の終わり、パーソナルコンピューターもDTPもなかった時代に、タイプライターとハサミ、ポラロイドカメラとで作られた本だ。グーグル創立の35年も前に作られたグーグルのペーパーバッグ版といえるようなものだった。理想に輝き、使えるツールとすばらしい概念にあふれていました。
  いくつか続編が出され、ついに最終号が発行された。70年代中ごろのことで、私は今日お話ししているみなさんの年ごろだった。裏表紙には早朝の田舎道の写真が載っていて、君が冒険好きならヒッチハイクに行ったときに見る風景のようだ。彼らからのメッセージ、"Stay hungry, stay foolish."(ハングリーであれ。莫迦(ばか)であれ)。それは編集者からのお別れのメッセージだった。"Stay hungry, stay foolish." 私はいつも自分はこうありたいと願っていた。君たちは大学を卒業して、新しい世界に飛び込んでいく。君たちにもそれを願ってやまない。 "Stay hungry, stay foolish."
 ご静聴ありがとう。

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 マセガキだった高校生のころ、どこかでこの Whole Earth Catalog のことを読んで、紀伊国屋書店で手に入れた。初版ではなく Next Whole Earth Catalog だったが、辞書を片手に読んだ記憶がある。 今でも実家のどこかで眠っているはずだ。
  この裏表紙に"Stay hungry, stay foolish."と書かれた「 Whole Earth Epilog」終刊号は幸いにも発掘されたので、写真をのせておく。A3の巨大サイズペーパーバッグで、紙が劣化していてもはや精読は難しい。ページをめくるとボロボロ紙片がこぼれ落ちてくる。なんとかデジタル化できないかと思う。

 このスピーチ全文は現在、三省堂の高3の英語、リーダーの教科書に採用されている。