ハーレーの葬送
2007.07.11
叔父貴は5月下旬に体調不良を感じて医者にかかった。すぐ岡山の大きな病院に転院。すい臓ガンだった。50日余りの短い闘病生活の末、旅立っていった。
今年の秋に長女のともちゃんが結婚する予定だった。10月まではとても無理と言われ、急きょ身内だけでの披露宴を7月14日に計画したが、それも間に合わなかった。
叔父貴が生前、こよなく愛していた巨大バイク「ハーレー・ダビッドソン」が祭壇からも見えるところに置かれていた。叔父貴の息子ぐらいの若いバイク仲間たちがぴかぴかに磨き上げてくれていた。
定年後は、ハーレーに乗って日本中をツーリングするのが長年の夢だと言っていた叔父貴。何年か前、無事リタイアして、北海道などへ長距離ツーリングに何度か行ったことは聞いていた。
いたたまれず駐車場への誘導係を買って出た。弔問者の波も落ち着いたので集会所に戻った。読経の中、ハーレーのそばにいた若者に「(叔父貴のハーレーをぴかぴかに)磨いてくれてありがとう。しばらくエンジンかけていないだろうけど、(エンジンは)ここですぐかかりますか」と聞いてみた。
彼も思うところがあったのだろう。小さくうなずいて「クセがあるけど僕がやりますから」との返事。そのまま町内会の会長(?)のところへ走っていった。
葬儀を仕切っていた町内会の幹部が集まって、小さな声で打ち合わせを始めた。すぐに結論が出た。
最後のお別れが終わり、柩が集会所から出て来た。それに合せてハーレーを磨いてくれた若者がちょっと祈るような表情でセルスターターを回した。
「ドッ、ドッ、ドッ、ドッ」という、ハーレー独特の重く腹に響く排気音の中、葬列は大勢の弔問者に見送られ静かに出発した。